2日目午後は1990年代に起きたボスニア紛争について学びます。
まずは子ども戦争博物館に向かってサラエボの街を徒歩で移動します。
街を歩きながらキョロキョロ。異国の町並みに興味津々な子どもたち。感性が鋭い子どもたちにとっては、ただ街の中を歩くだけの時間すらも大きな学びの場になります。
歩いていると、街の中に“サラエボのバラ”がありました。
サラエボのバラは紛争中、砲撃による死者が出た爆発の跡に赤い樹脂を埋めたもの。
この街で過去に激しい戦闘があったことをまざまざと感じさせられます。子どもたちは真剣な面持ちでスタッフの説明を聞いていました。
こちらは銃弾があたった跡をコンクリートで埋めた建物。建物の壁の色が違う箇所が、銃弾の跡を埋めた場所です。
日本で生活していると「戦争や紛争から復興できること」を当たり前のように感じるかもしれません。しかし、紛争の傷跡が25年以上残されている街の姿を実際に見て、世界には紛争からなかなか復興できない国があること、紛争から復興できるのは当たり前ではないことを自分の実感として知ってもらえたらと思います。
市内には銃弾の跡がそのまま放置された建物も多く見られます。
とはいっても、サラエボの街の復旧は紛争直後からは大きく進んでいて、街並みが綺麗な場所がほとんどです。銃弾の跡が残された場所は一部にすぎません。
綺麗なパラソルの下を歩いたり、もう少し街を移動して子ども戦争博物館に到着です!
子ども戦争博物館には90年代の紛争当時に子どもだった人たちの「紛争の記憶」が、それぞれの思い出の品と一緒に展示されています。
今回のスタディツアーでは、日本の子どもたちが紛争時の子どもたちの体験を知り、紛争を自分たち子どもの目線から捉える機会としてほしいとの思いからこの博物館を訪問することに決めました。
館内の展示は英語と現地の言葉で書かれているため、子ども戦争博物館でインターンとして働く黒澤永さんが日本語で館内を案内してくださいました。
上の写真中央の青いシャツを着た男性が子どもたちに自己紹介をしてくださっている黒澤さんです。
黒澤さんの案内のもと、館内の展示品を見て回ります。
さて、子ども戦争博物館への訪問にあたってはりゅうのすけを紹介しないわけにはいきません。
前回の記事で小サイズのピザを頼んで巨大なピザを食べることになった彼がりゅうのすけです。
りゅうのすけは子ども戦争博物館の館長ヤスミンコ氏の著書『ぼくたちは戦場で育った』を読んだことで、戦争がボスニアに与えた影響を知りたいとの思いを持ち、今回のツアーへの参加を希望してくれました。
普段はユーモアにあふれた好青年のりゅうのすけが、子ども戦争博物館で見せた真剣な眼がとても印象的でした。
子ども戦争博物館を訪問して彼が感じた思いはまだはっきりとした言葉にはなっていないようでしたが、この日のりゅうのすけの日記には「子供戦争博物館ではどのような思いや出来事が当時のボスニアで渦巻いていたのかを、かなりリアルに感じた」と書かれています。
ボスニア紛争に関する本を読んで、実際にはるばるボスニアまで来たりゅうのすけ。
彼はツアーの最後に書いた感想文の中で「(ボスニアに)次来るときはもっとボスニア語を勉強して会話くらいできるようになってから来たい」と書いています。
15歳にして世界への好奇心を持ち、行動力も備えたりゅうのすけの将来が今から楽しみです。
そして訪問を終え、集合写真!
子ども戦争博物館の後は、市内でボスニア料理を食べて長い1日が終了です。
みんな、お疲れ様でした!
翌日にはモスタル市に移動して、いよいよスポーツアカデミー「mali most」に通う子どもたちとの初対面です!